最初の子どものために、2番目の子を産んだ夫婦 アメリカ

数十年前の報道ですが……

ここ数日の家族に関する記事をみていて
私は、かなり前の報道を思い出しました。
もう25年位前のものです。

 

今はないのかもしれませんが、深夜に放送して
いた、「CBSドキュメント」のものでしたので
アメリカの家族の話だったと思います。

 

1組のアメリカ人夫婦に子どもが生まれました。
今すぐにどうなるという病状ではありませんでしたが
生まれた子どもは大変な病気を抱えていたのです。

 

 

 

上の子どものために次の子どもを産む

将来、それが発症してしまった場合、最善の策は
その子と遺伝的に最も近い人の移植(だったと思い
ますがこのあたりは、はっきりと覚えていません、
ごめんなさい)が望ましいとのこと。

 

彼らは、その万一のために次の子どもを出産しました。

 

「子どもを授かる」「子どもができた」「子どもをつくる」
等、様々な表現がありますが、まさに彼らは最初の子の
ために、2番目の子どもを産む決意をしたのです。

 

 

 

 

病発症

私はここまでの報道を聞いて、そういう経緯ではあっても
実際に2番目の子どもが生まれると、目的だったものは
いつの間にか消えはててしまい、

 


2番目の子どもは、最初の子に勝るとも劣らない
ほどの、かけがえのない存在になって
いったのだろうと確信していました。

 

ところが、そうではありませんでした。
何年後かは忘れてしまったのですが、1番目の子に
不幸なことに危惧していた病が発症します。

 

 

 

 


2番目の子を訴える両親

両親は2番目の子に、移植手術に応じるように
いいますが、その子は拒否しました。

 

そして驚くべきことに、両親はその2番目の子どもに
対して裁判を起こした、というのがその日の報道内容
だったのです。

 

その裁判の結果がどういうものだったのかはわからない
のですが、それ以上にここまでの経緯が特殊な例だった
こともありとりあげられたのだと思います。

 


詳細な部分に関しての記憶は薄れてしまっていますが
大筋はこんな風な内容だったと思います。

 

 

 

 

子を持つ目的(理由)

裁判を起こしたというからには、2番目の子もそんなに
幼いとも思えませんので、誕生してから少なくとも十数年、
もしかしたら二十年以上が経過していたのかもしれません。

 

この「CBSドキュメント」を見た私は、
いろいろな意味で驚かされました。

 

難しい話は抜きにして、単に素朴な感想としては
まず最初に思ったのは、そんな目的で子どもを
産もうとするのかなぁ?、ということです。

 

 

 

 

両親に訴えられる子

でも実際に生まれてきた子どもの顔を見て、そんなことは
吹っ飛んでしまい、その子の後にも3番目、4番目の子ども
が生まれ、はじめに生まれた子が発症した時に、そのうちの
一人がドナーになったという話なのかと思っていたと
いうのは、先ほど書いた通りです。

 

ところがこの両親は、私のように甘くはなく初心貫徹
(?)とでもいうのでしょうか、あくまでも最初の子
のためになりなさいと主張するわけです。

 

しかもそれを受け入れなかった子に対して、裁判という
かたちをとるというのも、私には考えられないことです、
たとえアメリカが訴訟社会であったとしても。

 

 

 

 

誰の幸せに結びつくのか?

裁判の判決がどのように出たかはわかりませんが、
どのような判決だったとしても、私には関わった人
全てが心に傷を負うような気がしてなりません。

 

1番目の子どもは、本当にそれを望んだのでしょうか?
もちろんそれが最善の策だとしても、相手(弟か妹)が
望まないのに無理にでも、とは思わなかったような気も
します。

 

また、2番目の子どもは、自分が生まれた目的(?)を
知った時に、複雑な思いがしたと思います。

 

 

 

 

2番目の子の戸惑いは?

両親が、兄か姉の病気対策のために自分を生むことを
決意したのみならず、実際に発病してドナーを拒否
すると、こともあろうに両親が訴えるなどとは……。

 

私自身は、1番目の子どもの体のことも、もちろん
心配ではありますが、むしろ2番目の子どもの
心の問題を考えずにはいられません。

 

その子がどのような性格なのかはわかりませんが
場合によっては、自分自身を否定するような思いに
とりつかれたり、両親にとっては1番目の子ども
の方が大切なのだ、と悲しく思ったりということも
あるでしょう。

 

 

 

 

その報道から数十年の月日が流れました。
2人のきょうだいが、幸せに仲良く暮らしている
ことを願わずにはいられません。