血縁がない父子の関係、解消を認めず 最高裁判所判断2014年

DNA型鑑定「血縁なし」
2014年7月18日
朝日新聞朝刊
父子関係の解消認めず

 

DNA型鑑定で血縁がないと証明されても、
それだけで一度決まった父子関係を
取り消すことはできない。

最高裁第一小法廷(白木勇裁判長)は17日、
3家族が争ってきた裁判の判決で、そうした
判断を初めてしました。

血縁よりも「子の法的な身分の安定」を
重視した。

 

子の身分安定優先

5人の裁判官のうち、2人はこの結論に反対した。
父子関係を116年前に定義した民法の
「嫡出推定」が、現代の科学鑑定で
否定されるかが最大の争点だった。

この日の判決では複数の裁判官が、
新たなルール作りや
立法などを求める意見を出しており、
議論が高まりそうだ。

争っていたのは北海道、近畿地方、
四国地方の各夫婦(2夫婦はすでに離婚)。

訴えなどによると、このうち北海道と
近畿の夫婦は、妻が夫とは別の男性と
交際、出産した子と交際男性との間で
DNA型鑑定をしたところ、生物学上の
父子関係が「99.99%」との結果が出た。

これを受けて妻が子を原告として、夫とは
親子でないことの確認を求めて提訴した。

一、二審はいずれも父子関係を取り消す判決
を出した。
「DNA型の鑑定結果は親子関係を覆す究極の
事実」などと指摘した。
ともに父子関係の維持を求める夫側が上告した。

これに対して最高裁は、「科学的根拠に
よって生物学上の父子関係が認められない
ことは明らかである上、夫婦がすでに
離婚して別居している。
それでも子の身分の法的安定を保つことは
必要」と指摘。

そのうえで「夫と子の間に嫡出推定が及ぶ」
として二審判決を破棄し、夫と子の父子関係
を認めた。

この判断について反対意見を出した金築誠志
裁判官は
「夫婦関係が破綻して子の出生の秘密が明らか
になっている上、血縁上の父親と新たな親子
関係を確保できる場合には、素の父子関係を
取り消すことを認めるべきだ」
などと指摘した。

一方、四国の夫婦を巡る裁判は、夫がDNA型
鑑定の結果を根拠に父子関係取り消しを求め提訴。
一審は「子の利益のため、確定した父子関係を
DNA型鑑定で覆すことは許されない」と棄却し、
二審も支持した。

北海道、近畿の裁判とは反対の判断を示していた。
最高裁も夫の上告を退け、判断を統一した。
(西山貴章)

嫡出推定

結婚している妻が出産した子は夫の子
(嫡出子)と推定する、と定めた民法の規定。
父親を早期に決めて親子関係を安定させる
ことが子の利益につながる、との考えに
もとづく。

1898(明治31)年に定められたもので、
DNA型鑑定などは想定していない。
ただし、子の出生を知ってから1年以内に
限り、夫は父子関係の取り消しを求めら
れるとしている。

 

親子認定 司法に難題
DNA鑑定、性別変更…「想定外」

DNA型鑑定だけで父子関係は取り消せない
とした17日の最高裁判決は、賛成3、反対2
と僅差の結論だった。

反対した白木勇裁判官は「科学技術の進歩は
めざましく、DNAによる個人識別能力はすで
に究極の域に達している。
このようなことは民法制定当時はおよそ想定
できなかったことだ」と指摘した。

賛成した裁判官にも「技術の発達を考慮すると、
反対意見の問題意識も十分に理解できる」
とする意見があった。

それでも判決は、
「結婚している妻が出産した子は夫のこと推定する」
と定めた民法の「嫡出推定」を優先した。

この規定は「早期に父親を確定することが
子の利益につながる」という考えに基づいた
もので、最高裁は昨年ものこの考えを示している。

「性同一性障害」で性別を女性から変更した
男性とその妻が、第三者から提供された精子
によってもうけた子を、男性の子と認める
ように求めた裁判。

血縁は明らかになく、一、二審は男性の求め
を退けたが、最高裁は昨年12月、嫡出推定を
適用して父子と認めた。

ただし、この決定も賛成3、反対2と、
裁判官の判断は割れた。

嫡出推定が問題の原因になるケースも出ている。
「無戸籍」の問題だ。
夫の暴力から逃れた妻が、その後に別の男性
と生活を始め、子をもうけるケース。

夫との接触を恐れて離婚が成立していない
ことも多く、出生届を出せば嫡出推定で
夫の子になってしまうため、出さない女性
もいる。

無戸籍で育った子らが民法改正を求めて
いるが、法務省は否定的だ。

この日の判決で、賛成した桜井柳子裁判官は
こう言及した。

「旧来の規定が社会の実情に沿わないので
あれば、裁判所で解決するのではなく、
国民の意識や子の福祉、生殖補助医療の進展
も踏まえて、立法政策お問題として検討
すべきだ」(西山貴章)

実情ふまえ法整備を/「嫡出推定」意義ある
この日の最高裁判決について、棚村政行・
早稲田大学教授(家族法)は「DNA型鑑定
偏重の傾向に警鐘を鳴らした点は評価できる
が、判決に沿えば『法的な親子』と『事実
上の親子』との間にねじれが起きる。
子の利益や生活実態が考慮されておらず、
大いに疑問だ。
実情を踏まえた法整備を急ぐべきだ」と話す。

一方、水野紀子・東北大教授(同)は
「判決は妥当だ。
DNA型鑑定だけで父子関係を覆せることに
なれば、子の身分は不安定になる。
嫡出推定は、子の養育環境を守るために、
妻の生んだ子について夫に責任を負わせる
制度だ。
鑑定で父子関係がわかるようになっても、
その存在意義は失われない」と述べた。

 

近年の『親子関係」をめぐる最高裁判断

2006年9月 死亡した夫の凍結精子で妊娠・
出産した子について、夫との父子関係を
認めず

2007年3月
代理出産を依頼した夫婦と、
代理母から生まれた子との親子関係を求めず

2013年3月
結婚していない男女間に生まれた子(婚外子)
の遺産の取り分を、結婚した男女の子
(婚内子)の半分とする

民法の規定は憲法違反と判断

2014年1月
子を認知した親は基本的にその認知を
取り消せないが、血縁がない場合には
取り消せることを認める

 

 

死んだと思っていた娘とDNA検査により69年ぶりに会った母 

コニー・ムールトループ(69)は2018年12月、米フロリダ州タンパ
で初めて実の母ジュネビーブ・ピューリントン(88)と会った。
2019年1月11日のThe Asahi Shimbun から。

 

母は、産後すぐに「娘は亡くなった」と聞かされた。
しかし、実際には南カリフォルニアの夫婦が、
ひそかに養子に迎えていた。
70年近くも続いた「死別」のベールを取り払ったのは、
DNA鑑定による血縁探しだった。

 

コニーは、バーモント州リッチモンドのマッサージ療法士。
「会ったら、すぐにお母さんだと分かった」と話す。

 

抱き合うと、母は自分をじっと見つめてこう言った。
「死んではいなかったのね」

 

2人とも、声をあげて泣いた。
「こんなにうれしいことはない」と母は言ってくれた。

 

再会は、遺伝子で家系を探るサイト「Ancestry.com」
のDNA検査をコニーが受けたことから始まった。

 

それがここまでたどり着いたことについて、著名な
遺伝子系譜学者で「The DNA Detectives(DNAの探偵たち)」
の設立者でもあるシーシー・ムーアは、
「決してまれな事例ではない」と指摘する。
「かつては悪質で冷酷な営利目的の仲介人が、
あちこちにいた。法を犯して母子を引き裂いても、
ばれはしないと信じていた」

 

 

 

 

ジュネビーブの場合は――故郷のインディアナ州
ラポートにいたときに妊娠した。
18歳。
未婚だった。
女の子なら、「マーガレット・アン」と名付ける
ことにしていた。
小児マヒを患っていた、大好きな高校の先生の名前だった。

 

コニーも、そう聞かされると、母の気持ちがよく分かった。
「なにごとにもめげない、強い子になってほしい
という願いが込められていた。
おかげでその『マーガレット・アン』は、強い子になった」
と自らを重ね合わせた。

 

1949年5月12日、出産。
同州ゲーリーの病院に、一人で入院していた。
しかし、赤ちゃんを見ることは、一度もなかった。
「女の子だったが、死んでしまった」と告げられた。
状況を問いただしたり、死亡診断書を見せるよう
求めたりすることもなかった。
「一人で出産した18歳の小娘には、思いつきようもなかった」

 

 

 

 

戦後の米国では、73年に連邦最高裁判所が妊娠中絶を
認めるまで、数え切れぬほど多くの若い女性が、
生まれた赤ちゃんと無理やり引き離されていた。
詳細は、アン・フェスラー著「The Girls Who Went Away
(いなくなった少女たち)」に描かれている。
赤ちゃんを奪い去られた女性の一人は、
「これを境に、自分の人生に紀元前と紀元後が
できたような気持ちになった」と証言している。

 

ジュネビーブは、出産した病院の名前は忘れてしまった。
コニーが入手した養子縁組の関係書類によると、
カトリック系の「St. Mary’s Mercy Hospital(聖マリア慈悲病院)」
で、今はもう存在していない。

 

この関係書類は、コニーがカリフォルニア州ロサンゼルス郡
の少年裁判所から入手した。
養子縁組を仲介したのは、出産した病院の医師となっており、
母の署名もあった。

 

確かに、ジュネビーブには、書類にサインした記憶はある。
しかし、自分が死んだり、娘を育てられなくなったりした
ときのために、あらかじめ用意する文書の類いといった
ような覚えしかなく、具体的になんの書類なのかは
まったく知らずにいた。

 

娘と再会するまで、ジュネビーブはこの世に近縁者は
もういないと思っていた。
両親と8人のきょうだいは、みな亡くなっていた。
存命の子供も、「いなかった」。

 

一方のコニーは、自分の出自については、
「友人の、そのまた友人の子」と養父母から聞かされていた。
ただ、もっと小さなときは、「病院の通路を何度も行き来して
私を見つけ、一緒に連れて帰った」と説明されたこともあった。

 

 

69年ぶりに再会を果たした
母ジュネビーブ・ピューリントンさん(88)=右=
と娘のコニー・ムールトループさん(69)
(写真/©2018 The New York Times)

 

 

そして、実母と再会した。まるで、鏡を見ているようだった。

 

「それまで、血縁者は娘1人と孫2人の3人しかいない
と思って人生を過ごしてきた。
3人とも、自分とはあまり似ていなかった。
でも、母は違った。
神秘の世界すら感じた」とコニーは振り返る。

 

母と娘は、外見が似ているだけではなかった。
二人とも料理と編み物が好きだった。
娘は、34年も看護師として働いたが、
母も看護師を夢見た時期があった。

 

その母は、結局は資格を取る高等教育を受ける機会に
恵まれなかった。
妊娠していることが目立ち始めると、高校に通うのをやめ、
出産した日に卒業証書を郵便で受け取った。
コニーの実父が結婚したことも知るようになった。

 

出産後は両親と絶縁し、1950年にフロリダに移った。
料理人になり、姉妹の一人の子供たちを育てるのを手伝った。
その間に子宮の摘出手術を受け、自分の子を授かる
ことはなかった。

 

 

 

 

「当時は、未婚で身ごもった女性や婚外子に対する
厳しい偏見があった」と養子縁組の全米組織
「National Council for Adoptions」の副会長ライアン・ハンロン
は指摘する。
だから、秘密に包まれた養子縁組が多かった。
「それが、今では逆になっている」

 

ハンロンによると、現在の養子縁組の90%以上は、
実親などの情報を開示した「開かれた縁組」だ。
制度的にも、「閉ざされた縁組」はしにくくなった。
養子になった人が、生まれたときの実際の出生関連書類
を見ることができるよう、法を改正した州が増えたからだ。

 

加えて、今回のように民間のDNA鑑定をもとに血縁関係を
調べようとする人は、今や全米で2千万人にものぼる。
出自を隠すことは、さらに難しくなった。
「きっかけは興味本位だったが、人生を変えるような
思わぬ結果にたどり着いた人も多い」と先の遺伝子系譜学者
ムーアは語る。

 

コニーは、19年1月に2人の異母妹とペンシルベニア州
ポコノで会うことにしている。
今度は、実父の娘たちだ。

 

「今からドキドキして、もう大変。
だって、きょうだいがいたことは、
これまで一度もなかったのだから」(抄訳)

 

(Christina Caron)©2018 The New York Times

 

 

プレゼントとして人気のDNA検査 母親の思わぬ秘密が 

日本ではまだそうなっていませんが
アメリカでは自宅でできる遺伝子検査が
プレゼントとして人気だそうです。
自分のDNAからたどる家系図。

 

ちょっとした遊び心もあってするのかも
しれませんが時には、思いもよらなかった
事実を知らされることもあるようです。

 

ニューヨーク州に住む、ロビン・クライストさんが
まさにそうでした。
2018年12月21日のBBC News JAPANの4分間の動画
から書き起こしてみます。
動画はこちらです

 

 

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「DNAはうそをつかない」

ロビン「真実を知った時 変わってしまうものがあります
娘のジェシカがDNA検査を受けました
ボーイフレンドがいつも
出自について冗談を言っていたから
どういうわけが検査器具が余ったので
『ママも受けてみてよ』と
『わかった、受けてみよう』って」

 

1200万人以上が自宅でできるDNA検査を受けている
これが人生を変えるきっかけになることもある

 

ロビン『この時点では自分は100%
アシュケナジム(ドイツ系ユダヤ人)だと思っていました
でも実際は49%しかアシュケナジムではありませんでした
父として私を育ててくれた人は
血のつながりすらなかったのです
テスト受けた時点で母は亡くなっていて
出生証明書上の父親も死んでいました
事情を聞ける人はいませんでした」

 

 

 

幼いロビンさんと育ててくれた父親
(写真/BBC)

 

 

DNAのマッチングでロビンさんは
新しいいとこを見つけた

 

ロビン「シェリル(父と判明した人の親類)が
いなかったら知らないままだったはずです」

 

ロビンさんを訪れたしシェリルさんは
彼女に家族の写真を見せて説明します

 

シェリル「これがあなたの父親ニックの写真
こっちがあなたのいとこのキャロルで
これがニックの兄弟のフランク」

 

ロビンさんが
「私の父と叔父と、いとこね。これは……」
と聞くとシェリルさんが答えます
「私の祖母のケイティ」」
ロビン「なるほど。まだ名前で混乱しているけど」
シェリル「大家族なの」
ロビン「本当に!」

 

 

 

 

ロビン「私が発見したのは
知らぬが仏とはよく言ったもので
数年間で知ったのは
両親が色々な人と寝ていたということです
当時は1960年代で自由恋愛とか言っていた時代で
それはまぁ良いとして
私の母とニックの間に関係があって
その結果が私のようです

 

たった1人の女の子だから
特別扱いなんだと思っていました
男兄弟2人と育って いとこも男3人なので
それが理由だと思っていました 女の子だからだって
でも真実がわかった今 「誰が知ってたの?」って
誰か知ってた人はいたのかって

 

母に怒ってはいません
何年か前に検査を受けて入れば
本人に聞けたのにとは思います
母がこの事実を知っていたのかすらわかりません
母は当時19歳で結婚していて
夫とも私の父親とも関係があったなら
わかりませんよね」

 

実の父親ニックさんは現在90歳で
ロビンさんの母親を覚えていない
しかし彼の家族はロビンさんを受け入れた

 

 

 

 

ロビン「みんな、ニックのことを
女好きだったと言うんです
あちらの家族にはそれほど意外ではなかったのかも
一度真実を知ってしまうと
道を歩いていても、周りの人を眺めて
私の鼻に似てる?とか 私と同じ目かも?とか
あの人お父さんにそっくり……
あの人は……って考えてしまいます
私は平気 自分が誰か知っているし
兄弟のこともわかっているし
素敵ないとこも見つけました」
ロビンさんが差し出したネックレスの中から
シェリルさんが一つを選んでつけようとすると
ロビンさんは言います

 

「やっぱりね そっちのゴールドを選ぶだろうなって」
二人はハグして言い合います
ありがとう 新しい家族を見つけた

 

ロビン「受け入れられる人もいればそうでない人もいます
もう一度やってみたいかって?
すぐにでも!」

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 

 

以上がBBCの動画の書き起こしに
私が少し説明を加えたものです。

 

最後の質問、「もう一度やってみたいかって?」
に対してロビンさんが「すぐにでも」と答えて
いるところに私は感動しました。

 

このケースは、ロビンさんと彼女の実の父とわかった側の
家族の対応を考えると、恵まれているといえるでしょう。
良い人たちばかりですので。

 

まあ、当の父親本人が90歳とはいえ、彼女の母を
覚えていないというのは驚きですが。
とういうことは当然、子ども・ロビンさんが生まれていた
事実も知らなかったと思われます。

 

本当に家族って、血縁って何なのだろう?、
と様々なことを考えさせられますね。