「日本女性への贈り物」1 1998年6月5日 週刊金曜日 ベアテ・ゴードン/落合恵子

落合

私は、ベアテさんが日本国憲法の草案づくり
にかかわられた直前の1945年生まれ、
日本国憲法そのものともに生きてきた
世代とも言えます。

ベアテさんの著書『1945年のクリスマス』
(柏書房)も読ませていただきました。

たくさんのプレゼントをいただいた側として
まずはお礼を申し上げたいと思います。
今回、来日されて、御自分が主人公の演劇
『真珠の首飾り』を御覧になられましたが、
舞台の感想からお聞かせください。

 

ベアテ

脚本は作家が書いたものですから、英語で
言うとポエティック・ライセンス(詩的許容)
があります。

ドラマですから仕方がないと思いますが、
内容は憲法の基本をきちっと表現していて
エンターテイメントだけではなく、教育
的意味があるのでとてもありがたいドラマ
だと思いました。

 

落合

主題曲の『真珠の首飾り』は
グレン・ミラーの名曲ですね。

主人公のベアテさんは69歳の語り手として
また22歳の民政局員として二役で登場する
わけですが、御自分お役を演じている俳優
さんを御覧になって、いかがですか?

 

ベアテ

率直に言って、たいへんよかったです。

若いベアテの俳優は、当時のスーツの形
もよく研究されていて、すごくよかった。

ちょっと、若いころの私に似ていましたしね(笑)。

 

落合

女性の観客が多かったですか?

 

ベアテ

女性も多かったですが、男性も多かったですよ。

18歳、19歳……高校生ぐらいの若い男性も
たくさん来ていました。

日本の若い人は歴史をあまり知らないから、
憲法についてのメッセージを舞台で生で
見せることはとてもよいことです。

テレビやラジオで伝えるだけではなく、
こういう芝居が必要だと思いますね。

 

落合

舞台を観た人は、日本国憲法がどういう
ものなのか、象徴天皇制、戦争放棄、
封建制度の廃止、さらに基本的人権の
意味と意義などを、自分により引き
寄せて考えられますからね。

日本では現在、新ガイドライン問題など
にともなって改憲論ーー私からすれば
改悪論ですがーーが強まっています。

そういう時期だからこそ、憲法がどうして
できたのかを知ることが大切だと思いますね。

 

落合

また、日本で憲法論議というと第九条
(戦争放棄)が中心となりがちですが、
同じ重さで人権の視点も大切にしたいですね。

男女平等をうたった憲法14条(法の下の平等)、
24条(家族生活における個人の尊厳と両性の
平等)の意味をもっと生活化したいです。

ベアテさんが22歳のとき、民政局のメンバー
として憲法草案づくりにかかわった、あの
「七日間の思いで」を聞かせてください。

 

ベアテ

あの時はいろいろな国の憲法を研究しました。

私は父(レオ・シロタ。 1885年5月、ロシア
・キエフ生まれ)が東京音楽学校(現在の
東京芸術大学)のピアノの教授になったため、
1929年、五歳の時にウィーンから日本に来て
東京・赤坂檜町に住みました。

15歳でサンフランシスコのミルズ・カレッジ
に留学するまでの日本の十年間の印象は、
女性たちは無権利状態でとても苦労し、
大変だったということです。

ですから、憲法には男女平等という基本的
権利だけでなく、女性の社会福祉の権利も
入れなければならないと思い、ワイマール
憲法をはじめ、ロシア、デンマーク、
スウェーデンの憲法を研究しました。

アメリカの憲法には「女性」という言葉は
出てきませんが、これらの憲法には女性の
権利がしっかりうたわれていましたからね。

 

落合

女性の権利に関してベアテさんが書かれた
草案のうち、三割ぐらいしか憲法条文に
反映されなかったとうかがったことが
あります。

原案にあって通らなかったもので
主な条項が三つありましたよね。

一つは「妊娠と乳児の保育にあたっている
母親は、既婚、未婚を問わず、国から守ら
れる」、

二つ目は「嫡出でない子ども(非嫡出子)
は法的に差別をうけない」。

三つ目は「すべての幼児や児童には、眼科、
歯科、耳鼻科の治療は無料とする」

女性や子どもの権利について非常に進歩的
な内容です。

一つ目の「母体保護」にしても、既婚女性
に限らず、「未婚を問わず」としてことは
50年たった今でも、画期的なことですね。

 

ベアテ

私は女性の権利や子どもの権利を具体的
に憲法の条文に入れれば、その内容は間違
いなく民法の条文にも入ると思ったのです。

だから、こうした社会福祉の権利を憲法
に入れたかった。

ところが草案を検討する運営委員会は
「ノー」だったのです。

「ダメだというのではない。
それは民法に入れるべき条項です」とね。

憲法の条文としてはなじまないという
ことでしょうか。

ケーディス大佐(GHQ民政局次長)は後に
「反対はしなかった」といっていますが
GHQの運営委員会のメンバーは、みんな
40歳ぐらいで、考え方がアメリカの一般
常識に影響されていました。

1946年当時のアメリカ男性は、女性の権利
についてそれほど真剣に考えていなかった
のでしょう。

でも、男女平等をうたった「基本的人権の
享有」(第11条)はカットされなかった
のでよかった。

 

落合

そうなんだぁ……。
とても印象的なのは、特に二つ目の
「非嫡出子は法的に差別をうけない」
の項目です。

カットされましたが、戦後53年たった
今でも、日本では非嫡出子への法的
差別は続いています。

ほんとに進歩的な草案でしたね。

 

ベアテ

私のママ(オーギュススティーヌ。
1893年7月、ロシア・キエフ生まれ)
が進歩的な女性だったのね。

当時のヨーロッパでも珍しかったけれど
離婚経験のある女性で、考え方はフェミ
ニズムだった。

それに大学(ミルズ・カレッジ)でも
進歩的な考え方の人が多く、私は、女性
の権利についてずいぶん教えられました。

 

落合

私もいろいろな活動でいい先輩に
めぐり合っていい影響を受けましたが
私の活動の原点は何かと考えるとき、
それは「人権」なんです。

すべて「人権」からはじまり、「人権」に
行きつくのですが、あの時代にそれを
条文に反映させようとされたベアテさん
はすごい。

しかも、「婚姻は、両性の合意のみに
基づいて成立し……」という24条の条文も
ベアテさんの草案では「親の強制ではなく
かつ男性の支配ではなく……」という言葉
が入っていたのですよね。

逆に、人権条項について22歳のベアテさん
という若い女性がかかわったことが、
ある種の反発も招きやすいと思われた?

ベアテさんは当時のいきさつを
お話しなさらなかったですよね。

 

ベアテ

日本国憲法草案を書いたとき、マッカー
サー元帥は、「日本の憲法だから、
制定までの議論は極秘」と命令したのです。

だから私たちはその後もしゃべらず、1947年
アメリカに帰り、翌年GHQの通訳でもあった
ジョセフ・ゴードンと結婚し、GHQとは
別の仕事をしていました。

1950年代に入ると日本では、いろいろな方
が「改憲したい」と発言し始めましたね。

私のところにも、第9条のことを聞きたい
といってきました。

当時、私は「改憲する必要があれば
女性の権利についてかな」と思っていた
のですが、「日本の学者か新聞記者が
“22歳の、何も知らないアメリカの女性が、
憲法の女性の権利についての草案を
つくった”と、私のことを改憲の理由に
していると書いていた」という話を
耳にしました。

その資料をお持ちの方がいらしたらぜひ、
見せていただきたいのですが、そういう
趣旨のインタビューだったら、私が発言
することは日本の女性の権利のために
悪いことになると思い、インタビュー
には応じなかったのです。

ところが5〜6年前、ケーディスさんが
日本の新聞やテレビのインタビューに
答えて、「女性の権利については、
ミセス・ゴードンのところへ行きなさい」
と言ったのね。

それで、日本のマスコミの人たちが
私のところへきたのです。

 

落合 
1950年代には、象徴天皇制や
再軍備をめぐって憲法論議が高まりました。

でも、若い女性が草案づくりにかかわった
からけしからん、憲法を“改正”しよう、
なんてとんでもない話です。

 

ベアテ

憲法が施行されて40数年たち、日本では
すでに女性の権利は社会の仕組みのなか
に組み入れられている。

だから、この条文は改正されないと自信を
持って日本のマスコミのインタビューに
応じるようになったのです。

女性の権利の確立は、戦後の歴史の事実
ですからね。

 

落合

ベアテさんはGHQ民政局と日本政府の
対訳会議(1946年3月4日〜5日)に
通訳として参加されましたよね。

その時の日本政府の代表者、つまり日本
の男性の反応はいかがでしたか?

 

ベアテ

草案を示した会議で日本側は、女性の
権利条項を出した私たちの草案を

「これは全然ダメだ」
「日本の社会と文化に合わない」と猛反対でした。

 

落合

そうなんです。

天皇制と女性差別は根っこがひとつ
なんですよね。

戦後・戦中の日本女性は、天皇制に
基づく家父長制のために、あらゆる
人権が奪われていたわけですから。

ですから女性の権利項目についても
天皇制と同じ過剰反応が出たのですね。

 

ベアテ

日本側の代表者は三人ぐらいでした。

そのなかには日本政府の憲法問題調査
委員会の松本烝治さんもいました。

でも、松本さんは会議にはちょっと
しかいませんでした。

そのおかげで男女平等の項目はパスしたのです。(注)

 

落合

その時、日本側から「こんな若い女性が
つくったのか」と、反対はでませんでした?

 

ベアテ

そんな暇はなかったですね、日本側は。

私が草案をつくったことを知ったときは
びっくりしちゃって、それでパス。

歴史の事実っておもしろいものですよ。

 

落合

その瞬間、憲法24条の「家族生活に
おける個人の尊厳と両性の平等」が
生まれたわけですからね。

戦前、ベアテさんは夫と妻が対等でない
日本、夫と妻が平等な家族生活を送らない
日本の家庭をずいぶん見られたと思いますが。

 

ベアテ

あまり見てはいないけど、話はずいぶん
よく聞いていました。

凶作の時身売りをされる農村の娘さん
の話とかね。

でも、本当の男女平等は憲法や法律では
なく、家庭の中そのものから変わらない
と実現しません。

まして戦前の日本は、あれだけ保守的、
封建的な家族制度でしたから。

一気に民主的家族制に飛ぶことは
できないと思います。

 

落合

時間が、かかる?

 

ベアテ

そうです。

50年という年月は歴史的には短いが、
民族に根づいた家族制度を変える
には時間がかかる。

アメリカだって、男女平等社会になる
にはずいぶん時間がかかっていますし、
今でも女性の最低基準サラリーは1時間
75セント。

男性は1ドル。

まだ男女間に25セントの差がある。

その上、グラス・シーリングがありますからね。

女性が50パーセントもいるのに2%の女性
しか企業のトップや、役所のトップになれません。

 

落合

グラス・シーリング、ガラスの天井ですね。

日本は2パーセントもいっていません。

これは私たち、今、生きる女性によって
とても大切な問題です。

ところで今日本では憲法を変えようと
いう動きがでています。

私は勿論反対ですが、国際貢献、自衛隊
のPKO派遣、新ガイドラインという動き
の中で、日本での改憲運動はアメリカに
おけるファンダメンタリズム(超保守
主義)の台頭と同じように、ある部分で
強まっています。

こうした改憲ーーもちろん改悪ですが
ーー派と正しく闘うためにはどういう
視点がが大切だと思われますか?

 

ベアテ

私も改憲には反対です。

憲法改正というパンドラの箱は絶対
に開けるべきではありません。

あまりに危険です。

憲法を改正しないでも、日本は長いこと
自衛隊を維持して、国連のPKO活動にも
参加しているではありませんか。

兵隊を海外に派遣しなくても、ドクター
やナースなどの医療奉仕団などを派遣
するとか、あるいはお金を出すことで
国際貢献ができます。

 

落合

NGO(非政府組織)も頑張っています。

 

ベアテ

一度、パンドラの箱を開けたらどこまで
突き進んでいってしまうか、それが心配
ですし、怖いです。

 

落合

私もそう思います。

 

ベアテ

女性の権利を守ることも大事ですし、
他の問題もありますが、今の日本社会
の中で実情にそぐわないことがあれば、
憲法を変えないでもできる。

民法を改正するとか、法律改正で
手直しできます。

国の基本法である憲法を変える必要
は考えられません。

50年以上も改正されていないことは、
それだけですばらしい憲法だという
ことではないですか。

もし、第9条・戦争放棄を変えようと
したら、アジアの国々はどう思うで
しょうか。

アジアの人達は、戦前の日本及び日本
の軍隊がやったことを忘れてはいません。

だから憲法改正を考えることは危ない
と思うし、日本を、とんでもない違う方向
に持っていくような不安があるのです。

日本国憲法をつくるとき、マッカーサー
の指令で「象徴というかたちで天皇制を
残す」ことが決められましたが、その時
もファーイースタン(極東)コミッション
会議では、「象徴であっても天皇制を残す
ことに反対」の意見があったと聞いています。

とくに中国、ロシア、オーストラリアの
代表からそうした意見が出たそうです。

 

落合

そうした歴史の上で生まれた日本の女性
の権利ですが、戦前の女性に比べて、
今の日本女性を見てどう思われますか?

 

ベアテ

自信を持って活動的に生きていますね。

街の中を歩いている人を見ても、
解放されたみたいな感じです。

実際、女性がいろいろな職業で
活躍しているでしょう。

ジャーナリスト、アナウンサー、
デザイナー……50年前にはとても
考えられなかったことです。

昨年11月に、北海道から長崎まで
「女性の平和のための講演」で歩きました
が、そこで出会った女性たちは、私が
50数年前に「日本の女性はこう変わって
ほしい」と思った女性の姿でした。

家父長制の家制度から解放されて、社会
で働くことと家庭の中での仕事のバランス
をとることができます。

裁判官、弁護士、代議士、政党の党首
にも女性がいるし、沖縄県・埼玉県の
副知事も女性です。

外から見るとすごく活動的に輝いています。

男性よりも楽観的ですし(笑)、アメリカ
の女性よりも平和運動に対して積極的です。

 

落合

もしベアテさんが、国連の人権委員会
のようなところでもう一度、日本の憲法、
あるいは世界の憲法をつくるとしたら、
どんな条項を入れたいですか?

 

ベアテ

老人のこと。
老人福祉ですね。

22歳の時には考えもしなかったし、
あのころの日本は家族がみんな一緒に
暮らしていたので老人問題はなかった。

でも、自分が年をとって感じたことは、
男女平等と同じように若い人と老人の
間の平等が必要ということです。

 

落合

最後になりますが、ベアテさんにとって
理想とする世界、地球はどんな姿ですか?

 

ベアテ

一つは平和であることです。

国籍がどうあれ、どこに住む人でも、
子どもが生まれれば喜ぶし、親しい人
と会えば抱きしめて笑ったり泣いたりする。

国や民族の文化の違いは
たいした違いではありません。

宗教の違いにも大差がありません。
みんな同じ気持ちで平和に生きられる
はずです。

でも、社会的・経済的には平等に
ならなければなりません。

一方に大きな金持ちがいて、他方に貧困
にあえぐ人がいる社会はよくない。

国同士の関係でも同じです。
経済的にも平等な世界、そんな
地球になってほしいと思います。

 

落合

素敵なメッセージをありがとうございました。

平和な地球の実現に向けて、私たちは一歩
一歩、歩いていくことが必要ですね。

         (5月1日 東京都内にて)

 

 

日本国憲法

第14条 (法の下の平等、貴族の禁止、栄転)

① すべて国民は、法の下に平等であって、
* 人権、信条、性別、社会的身分または
* 門地により、政治的、経済的又は社会的
* 関係において、差別されない。

② 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。

③ 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、
 いかなる特権も伴わない。
 栄典の授与は、現にこれを有し、
 又は将来これを受ける者の一代に限り、
 その効力を有する。

 

第24条 (家庭生活における個人の尊厳と両性の平等)

① 婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、
 夫婦が同等の権利を有することを基本として、
 相互の協力により、維持されなければならない。

② 配偶者の選択、財産権、相続、住居の堰堤、
 離婚ならびに婚姻および家族に関する
 その他の事項に関しては、法律は、
 個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、
 制定されなければならない。

(注)日本政府は1945年10月25日、国務大臣・
松本烝治を長とする憲法問題調査委員会を
発足させた。

この松本委員会が明治憲法の改正作業に着手、
翌46年2月1日、「毎日新聞」が松本案を
スクープ報道。
その内容があまりに保守的でポツダム宣言の
精神が生かされなかったことに失望した
連合軍最高司令官マッカーサー元帥は
GHQ民政局に草案作成を命じ、ホイットニー局長、
ケーディス局次長が中心となり、ベアテさんを
含めた二十五人の民政局員が46年2月4日から
7日間で草案をまとめ、13日、日本政府にわたし、
3月4日〜5日に対訳会議が行われた。

 

 

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