AID(非配偶者間人工授精)で生まれた子どもの思い

 

 

AIDで生まれた子

夫に不妊等の理由がある場合などに、夫以外の第三者の
精子を使って人工授精をすることを「A ID」といいます。

私は以前から、このようにして生まれた子がこれらの
事情を知った時に、父親を知りたいと思わないのだ
ろうか?、と疑問に思っていました。

もう20年以上前のことですが外国で作られた、この問題
を扱ったTV番組を NHKで見たことがありました。

どこの国で制作されたものかは、はっきりとは覚えて
いないのですが、多分北欧だったのではないかと
思います。

 

 

実父母を知りたい

その番組に出演していたADIで生まれた子どもたち
(といってもいわゆる子どもではなく、成人していた
子どもがほとんどだったと思いますが)は、私が
ずっと疑問に思っていた、まさにそのことで悩んで
いるということでした。

当然のことでしょう。
生物学上の本当の父を知りたい、という思いは
ごく自然なものと思われます。

私の知り合いで、AIDで生まれた子ではなく、いわゆる
「藁の上からの養子」といわれる、法的な養子縁組を
とらずに生まれてすぐ、実際の父母から養父母に
渡され、育てられた人がいます。

この場合、戸籍上も養父母が実の親という扱いです。
私が彼女から聞いた時、彼女は50代だったと思います
が、彼女は実の両親をとても知りたいので教えてくれる
よう養父母に頼んだそうですが、その願いは叶いません
でした。

彼女をもらう時に、両親の名を明かさないことが条件
だったということもあったようですが、彼女自身は両親
が、実の親を知られるのを嫌がっているという理由に
よるのだろうと言っていました。

 

 

 

 

探し当てた父

このケースは、養父母は実際の両親を知っていて話さな
いのですが、AIDの場合は、養父母自身がそれを知らな
いので子どもは知るすべがありません。

そこで先ほどの20年以上前に外国で作られたTV番組です
が、生物学上の親を知りたいと思ったADIで生まれた
子どもたちが集まって会が作られ、中には実の親を探し
出した子どももいました。

また、その会のメンバー同士が、同じ父親の子であり、
生物学的にはきょうだいである、という事実が
わかったケースもあったようです。

その番組の最後のシーンは、暗く重い雰囲気のもの
でした。
なんとか自分の父・精子提供者を見つけ出した子ども
が父親の家を訪れたシーンです。

父親は驚きと戸惑いに襲われたに違いありません。
彼は、我が子に数十年ぶりに巡り会えた喜びに満ち
溢れているようには見えませんでした。

もっとも、それも無理のないこと、彼は好意で精子
の提供をしただけなのですから。
子どもの
側が望むような反応ができなくても、
彼を責めることはできないでしょう。

 

 

70年間で1〜2万人の子どもが誕生

結局、話は「AID」そのものについてになります。
先日、AIDで生まれた38歳になる女性のインタビューを
読みましたが、彼女の話す内容は全てがもっともと
思われ、私が疑問に感じていたことばかりでした。
(東洋経済ONLINE 2019年1月8日)

「父親は誰?『AID』で生まれた38歳女性の叫び」)

日本では慶應義塾大学病院で、すでに1949年から行われ
以来70年間で1〜2万人の子どもが生まれていると
いいます。

しかも正確な数は、国も日本産婦人科学会も把握して
いないということで、多くのAIDで生まれた子は、
生物学的父親がわからないケースが大半を占める
ようです。

 

 

 

遅れすぎている法整備

私が一番、疑問に思うことは、70年もの年月が過ぎて
いるというのに、いまだにAIDで生まれた子に関する
親子関係を明確に定める法律がないことです。

記事の中で、厚生労働省が生殖補助医療に関する法律
を作るための審議会での内容が出ていました。

医師を含む委員の誰一人として、 AIDで生まれた子の
その後について追跡調査をしておらず、「子どもは
秘密のままやっているが、それでうまくいっています」
というような意見を述べているそうです。

 

 

「この人たち、何を言っているんだろう」

それを読んだAIDで生まれた彼女は、「この人たち、何を
言っているんだろう」と医療のあり方に問題があると
思い、
「『(医者は)とにかく患者が妊娠して子どもが生まれ
れば成功』と思っているかもしれないですが、それは
違います。
生まれた後のことまで考えてくれたら、うちの状況も
もっと違ったかもしれません」と発言しています。

全くおっしゃる通りですが、「生まれた後のことまで
考えてくれたら」ではなく、「生まれた後のことまで
考えなくてはいけない」のではないのでしょうか、
本来は。

一人の人間がこの世に生まれという現実を考えること
なく、そのような技術が先走ることの方が大きな問題
だと、私には思えてなりません。

 

 

オーストラリアでは

なお、この記事のコメント欄にはオーストラリアでの
卵子提供を受ける場合のケースに関して説明があり
ました。

卵子提供を受ける際には、相手の何度か面接絵推し、
生まれて来る子どもに生物学的母の存在を教えるか、
子どもと対面する加藤を話し合うといいます。

また生まれて来る子どもに対する対応についても
親になる人はm事前に学んだり話し合ったり
という準備をするのだそうです。

 

 

 

技術の前に生まれる子どもの幸せは?

このシステムが最善というわけでもありませんし、
これをしたからといって問題がなくなるわけでは
ないでしょう。
ですが今の日本状態は、すでに70年も経っていて
このお粗末さは言葉になりません。

親ももちろんですが、何より生まれてくる子どもの
幸せを、傷つくことがより少なくなるような状態を
用意するのは大人として最低限のことのように
思えるのですが。

生殖技術の前に、子どもの心なのではないでしょうか?

 

 

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