赤ちゃん取り違え事件 イギリス  1983年5月

「愛情のクロス承認」

1946年に同じ病院で出産し、
病院側の手違いで赤ん坊を
取り違えられた二人の婦人が、
このことを知ったあとも、互いに
連絡し合って、相手の子どもを
自分の子どもとして育て上げ、
子どもたちも互いに「シスター(姉、妹)」
と認め合う“円満な関係” を維持している
ことが英国で評判となっている。

この二人はマーガレット・フィラー
さんとブランチ・リラットさん。
英中部ノッチンガムの病院で出産後、
赤ちゃんを渡されたとき、ともに
“異変”を感じたが、病院側が取り合わず、
取り違えがわかったのは七年もたってから。

しかし、二人は子どもに与えるショックの
大きさを考え、相談のうえ、相手の子を
自分の子どもとして育てることにした。

それから40年——二人の娘は18歳のとき
“事実” を知らされたが、ともに育ての親
と暮らす道を選び、いまではそれぞれ
二人の子どもの親。

このほど、フィーラーさん夫妻の金婚式
に全員そろって出席、久しぶりの再開を
喜び合った。

 

(UP1共同)

順天堂で「新生児取り替え」 口外しないように……

順天堂が認めた「新生児取り違え」
被害者の告白公表の裏で“恫喝”
週刊新潮 2018年4月19日号掲載

 

「週刊新潮」4月12日号が報じた、半世紀ほど前に
起きていた順天堂医院の新生児取り違え事件。

当初は取材に「対応しない」との態度だった
順天堂だったが、記事が掲載されると一転、
HPで事件を認めた。

本誌が報じたのは、都内在住の男性・小林義之さん
(51)=仮名=が被害者となった、順天堂大学医学
部附属順天堂医院の過誤である。

記事では順天堂関係者の証言に基づき、「一昨年
の初めごろに小林さんは順天堂医院に確認を求めた」

 

「病院側はそれを認めつつ、事件を口外しないよう
金銭で口封じした」「“平穏に暮らしている可能性が
高い”ことを理由に、本当の親に会いたいとの小林
さんの訴えを拒んだ」ことなどを掲載した。

この時、小林さん本人にも取材を試みたが、自身が
当事者であることは認めたものの、病院側との間に
“口外しない約束”があるため、詳しい証言は拒んだ。

そんな小林さんが、今回、重い口を開くにいたった
のは、本誌記事を受けて学校法人順天堂がHPに掲載
した〈お知らせ〉がきっかけだったという。

「誠意がないばかりか、偽りが多い。
こうなれば私が話すしかないでしょう」

と順天堂への不信感を漏らすのは、小林さん本人だ。

 

〈お知らせ〉が掲載された後、順天堂の代理人弁護士
から小林さんの元へ、〈通知書〉が送られてきたという。

そこに小林さんへの謝罪の言葉はなく、代わりにあった
のは〈(HPで公表はしたが)合意書に基づく貴殿の守秘
義務が解除されることにはなりませんので〉〈貴殿らに
守秘義務違反があった場合には、しかるべき対応を取る
所存ですので〉といった文言だった。

「これって恫喝じゃないですか? ホームページでは
〈心よりお詫び〉と言って世間体を取り繕って裏で
恫喝する。どういう病院でしょう」

そして、こう訴えるのだ。

「本当の親が知りたい。それだけなんです。
知る怖さはあるけど、知らないでいるほうが幸せだ
なんてことは絶対にない。
近所の親子連れを見ても、親子が出てくるドラマを
見ても“俺の本当の両親はだれなんだ”と考えて
しまいます――」

実は、さかのぼること45年前には、わが子の取り
違えを疑った小林さんの母が、順天堂医院を訪れた
ことがあった。

ところが病院は取り合うことなく、“訴えればいい”
という態度だったというのだ。

4月12日発売の「週刊新潮」では、小林さんの告白を
掲載すると共に、順天堂の心無い対応などを報じる。
カメラの前で小林さんが心情を語ったインタビュー
動画は、現在「デイリー新潮」にて公開中である。

 

 

 

赤ちゃん取り違え(インド) 裁判所で子どもの交換をしようとすると……

「この子はうちの子じゃない」

事件は、インドの北東部アッサム州で起きました。
シャハブディン・アフメドさんは、2015年3月11日
午前6時に、妻のサルマ・バルビンさんをマンガル
ダイ市民病院に連れて行きました。
その1時間後、妻は男の子を出産。
通常の出産だったため、彼女は翌日退院しています。

 

1週間経った時に妻は、
「『この子はうちの子じゃない」というんです。
私が『何を言っているんだ。罪のない子どものこと
をそんな風にいうもんじゃない』と言ったけど、
妻は、分娩室にボド族の女性がいて、『2人の
赤ちゃんは取り違えられたと思う』と。
信じられませんでしたけど、妻はそう言ったのです」

 

つまり、サルマ・バルビンさんは、最初からジョナイト
ちゃんが実の子どもではないと疑っていたのです。

 

「赤ちゃんの顔を見た時、疑いを持ちました。
分版室にいたもう一人の女性の顔を思い出し、
この子がその女性に似ていたからです。
赤ちゃんの目からわかりました。
この子は小さな目をしていましたが、うちの家族
の誰もそんな目をしていません」
とバルビンさんは語ります。

 

 

 

 

病院に連絡を取ると「妻は病んでいて精神科の治療が必要」

夫のアフメドさんは、妻が感じている疑いに
ついて、病院長に伝えたところ、院長はアフメド
さんの妻は精神を病んでいて、精神科の治療が
必要だと言いました。

 

アフメドさんはその後、情報請求権を提出し、
同病院でその日、午前7時ごろに生まれた
全ての赤ちゃんの詳細な情報を求めました。

 

1か月後、7人の女性の情報を得ます。
記録を見て「部族の女性」を調べることにしました。
この女性は、妻とあまりにも多くの類似点がありました。
2人とも男の子を産み、赤ちゃんの体重はそれぞれ
3キロ、出生時間は5分しか違っていました。

 

 

 

 

訪ねたが会う勇気はなく手紙をしたためる

「夫婦の住む村に2回行きましたが、彼らの家を
訪ねる勇気がありませんでした」とアフメドさん。

 

「相手の夫婦に手紙を書きました。
子どもたちが取り違えられたと妻が思っていると
書き、向こうも同じようにそう思っているかどうか
を尋ねました。
手紙の末尾に自分の電話番号を記し、電話をして
ほしいとお願いしたのです」

 

アフメドさんの自宅から30キロしか離れていない
場所に、アニル・ボロさんとシュワリ・ボロさん
夫妻と息子のリヤン・チャンドラちゃんは住んで
いました。

 

 

 

 

気づいていなかった相手家族

ボロさん夫妻は、アフメドさんと異なり、その手紙
を受け取るまでは、息子が取り違えられたとは
疑っていませんでした。

 

夫のアニルさんも、妻や他の家族も、そんなはずは
ないと思っていたのです。
しかし、二組の家族が出会ったのち、状況が変わり
ました。

 

「最初に男の子を見た時、父親に似ていると気づき、
とても悲しくなって、泣きました。
自分たちはボド族で、他のアッサムの人たちの
ムスリムの人たちとは違います。
自分たちの目はつり上がっていて、頬や手は膨らん
でいます。
自分たちにはモンゴル人の特徴があります」
とシュワリ・ボロさんは言います。

 

サルマ・バルビンさんは、最初にリヤンちゃんを
見た時、自分の子どもだとわかり、すぐにその場で
子どもたちの交換を求めましたが、アニルさんの
母親がこの提案を拒否します。

 

 

 

 

病院は認めなかったが、血液検査は「親子関係なし」

アフメドさんの強い求めに応じて病院側は、疑惑の
調査を開始しますが、病院は出産日に分娩室で勤務
していた看護師に話を聞いた後、手違いはなかった
と疑惑を否定。

 

納得のできないアフメドさんは、DNA検査のために
妻と赤ちゃんの血液サンプルを送りました。

 

2015年8月に、検査結果が出ました。
サルマ・バルビンさんとジョナイトちゃんの間に、
遺伝的なつながりはありませんでした。

 

 

 

 

警察に被害届を提出

病院側が、検査結果は法的に受け入れられないと
いうことだったため、アフメドさんは2015年12月、
警察に被害届を提出します。

 

この件を捜査したへマンタ・バルア警部補はBBCに
対し、事件究明のため病院から出生記録を入手し、
二組の家族を尋ねたといいます。

 

2016年1月に、バルア氏は両家族の血液サンプルを
持ちコルカタに向かいますが、現地の法医学研究所は、
用紙に記入ミスがあるとして、検査を拒否しました。

 

 

 

 

裁判所で子どもの交換をしようとするも……

「昨年4月に2度目のサンプルを採取し、州都のグワー
ハーティーにある法医学研究所で監査を行いました。
11月の検査結果では、赤ちゃんが取り違えられたと
いうアフメドさんの疑いが証明されました」

 

バルア氏は、アフメドさんに対し、裁判所に出向いて
判事から男の子たちを交換する許可をもらうように勧
めました。

 

しかし今月4日、両家族が裁判所で交換を実行しようと
したところ、男の子たちが育ちの親の元を離れるのを
拒否したのです。

 

 

 

 

今までの家族への愛着

バルビンさんは、
「判事はもし交換するようならしてもよい、と言い
ましたが、私たちが交換しないと言いました。
これまで3年間育ててきて、手放せなくなったのです」
と言います。

 

「それに、ジョナイトが泣いたのです。
義理の兄弟の膝の上で、首のあたりをしっかりと
抱きしめて、離れようとしませんでした」

 

リヤンちゃんも、シュワーリさんを抱きしめて
泣き始め、離れようとしませんでした。

 

アニルさんは、今子どもたちを交換すれば、
心を傷つけてしまうと言います。
子どもたちは小さすぎて、何が起こっているか
わからないために。

 

子どもたちが今、過ごしている家族に深い愛着が
あり、家族もその愛情を返しているのは明らか
でした。

 

 

 

 

「ジョナイト(弟)を連れて行ったら私、死んじゃう」

実際、私が先週、ボロさん一家を訪ねた時、
リヤンちゃんの祖母がリヤンちゃんを隠しました。
連れて行かれてしまうと恐れたからです。

 

1時間後、叔父の一人が、リヤンちゃんを連れて
帰って来ました。
祖母は少し後に戻って来て、リヤンちゃんに
小さな銀色の魚をたくさんあげました。

 

リヤンちゃんが嬉しそうに祖母の隣に座ると、
祖母が不安そうに、
「何か問題がありますか?
どこかに連れて行かれてしまうのでしょうか?」
と聞いて来ました。

 

 

 

 

叔父も加わって言います。
「この子の顔を見てください。
本当にかわいいでしょう?
どうやったら諦められると言うのですか?」

 

リヤンちゃんは、シェワリさんのもとを片時も
離れようとしません。
ジョナイトちゃんも、アフメドさんたちを慕って
いました。

 

バルビンさんは言いました。
「裁判所で交換する日、8歳の娘が『ジョナイトを
連れて行かないで。連れて行ったら私、死んじゃう』
と言ったんです」

 

 

 

 

子どもが成長した時に選ぶこと

宗教の違いが、いつか問題になるか否かを聞くと、
「子どもは子どもです。
神からの贈り物です。
ヒンズーかムスリムではありません。
みんなが同じ源からやって来ます。
生まれてからヒンズーやムスリムになるのです」

 

アフメドさんは、子どもたちが再び交換されれば、
生活の仕方や言語、文化や食事などの面で、両家族
が全く異なるため、適応できないだろうと言います。

 

母親たちにとっては、鬱なる葛藤があるのが一目
瞭然でした。
育てた子ども対しては、間違いなく愛着があります。
しかし、自分の子宮にいた子どもに対しても、心が
引き裂かれるような思いでしょう。

 

 

 

 

両家族は、子どもたちが成長すれば、どちらで生活
がしたいか自分自身で選べば良いとしています。

 

しかし、今はまだ、両家族で予定を合わせて、
定期的に会って友人となり、なんとかして実の
子どもの人生に関わろうとしているところです。