憲法を考える 澤地久枝 朝日新聞 2000年12月26日(火)

憲法を考える
澤地久枝 「国家も軍隊も市民を守らぬ」

 

――改憲論の焦点、
九条についてどう考えますか?

 

新しい憲法ができるころから
反対する政治勢力はありました。

憲法制定や米軍占領に続く時代には、
そういう人たちは黙っていた。

しかし、米国の対日政策も変化し、
保守勢力が力を回復してくると、
表現をごまかしながら改憲、
軍事力の復活を持ち出してきた。

政府は当初、自衛を含めて武力
保持一切を認めていません。

だが、警察予備隊は軍隊ではないと
言い、次に自衛隊の海外派兵は絶対
しないと繰り返し、半世紀たったら
自衛隊は世界有数の軍隊になっていた。

既成事実の押しつけに対し、
根本的議論抜きでここまで来た。

憲法を守りたいと思う人々も、
あの軍事集団をどうするのか、
自問自答し、思考を拘束
される状況だと思います。

 

――調査会では「憲法を守って国が
滅びたらどうなる? 国家あっての
国民だ」との意見がでました。

 

ご冗談を。

旧満州(中国東北部)で敗戦を
迎えた私は、十四歳で「国家の崩壊」
を目の当たりにしました。

国家なんて一夜にしてなくなり、
だれも責任をとらない。

関東軍幹部はいち早く南下し、
ほとんどの在満日本人は見捨てられた。

集団自決が起き、中国残留孤児
や残留婦人が生まれた。

国も軍隊も市民を守っていないのです。

「国家あっての人間」という
考え方にはあきれる。

人間がいなくなって
国家が存在するのですか。

 

――新憲法を高等女学校で学ばれましたね。

 

一年の難民生活を経て帰国しました。

男女平等、軍隊いらない、
戦争はもうしない。

新憲法の各条は当然のことと思いました。

ただ教師が「天皇が象徴であることに
みんなは異論があるかも知れないが」と
説明したことはよく理解できなかった。

今から思えば、あれは一つのキーワード
敗戦を境に新しい歴史を生きるべく、
共和制になった方がよかったと思う。

戦後、憲法のことを真剣に考えるように
なったのは、朝鮮戦争と早大の反レッド
パージ(共産党関係者追放)闘争の中でした。

先の戦争も少数派の否定と
追放から始まったからです。

人間は「個」として尊重されるべき存在と
日本人が自覚をしてからの時間は短い。

お上が絶対だった歴史の方が長いから、
すぐに声を上げなくなる。

 

――最近の改憲論の特徴は?

バブル後の長期不況、リストラと
いう人員整理、生活不安の中で、
これまで小出しにされてきた
「軍隊を持つのは当たり前」
論が前面に出てきたこと。

国家の統治能力が衰え、経済をはじめ
国の勢いに衰えが見え始めると、
どの国も「国威の発揚」への熱意が
政治の重要課題になる。

国旗・国家法制化など、
その典型ではないですか。

私には憲法を変えるよりも、二十一世紀
を前に地球のいかなる成員として生きて
いくかというプランの方が緊急です。

 

――今世紀の終わりに当たり、
九条の理念について。

 

「正義の戦争」なんて存在しない。

戦争の世紀といわれた二十世紀、
ついに真の勝者はいなかった。

戦争は究極の解決策にならないばかりか、
遺族の悲しみは勝敗を超えて今も続きます。

反ファシズムを大義名分にした第二次
大戦の連合国側にもソ連国内への粛清
があり、米国の「民主主義」と連れだ
った武器商人の影があった。

このままいけば地球環境は破壊
され、人類も危機に直面する。

日本国憲法はそれを避けるための
一つの知恵であり理想でしょう。

         (本田雅和)

 

さわち・ひさえ
東京都生まれ。
70歳。
4歳で家族と旧満州へ。
敗戦後、16歳で引き揚げ。

 

 

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