「日本国憲法の誕生を検証する」ベアテ・シロタ・ゴードン、西修 インタヴュー3

ベアテ・ゴードン・シロタ女史

「経歴」父君は東京音楽学校(現在東京芸術大学)
の有名なピアノ科の教授、レオ・シロタ氏。

彼女は五歳のときに来日、十年間日本に滞在。

高等教育を受けるためアメリカへ渡り
カリフォルニア州の名門女子大学で
あるミルズ大学を卒業。

その後タイム・マガジン誌、
外国経済局に勤務。

戦後GHQの募集に応募、
採用され民政局配属。
民政局では政治問題を担当。
二二歳。

当時通訳官だったジョセフ・
ゴードン氏と結婚。
現在,アジア財団のディレクター
としてアジア(当然日本を含む)
の芸術を広くアメリカで紹介する
のに多大な貢献をしている。

筆者が同女史に対してインタビューした
のは昭和五十九年十月十九日のことである。

この日の夕方、同女史はバージニア州
ノーフォークのマッカーサー記念館で
開かれた学会において記念スピーチを
行うことになっており、忙しい間を
ぬってインタビューが実施された。

 

両親のいる日本

西

最初に、GHQとの関わりについて
簡単にお話しいただけないでしょうか。

ゴードンさんは、戦前から日本に
いらして、お父さまが今の東京芸大の
有名なピアノ科教授だったわけですが
戦後、GHQから勤務するようにとの
勧誘でもあったのですか。

 

ゴードン

いいえ、そうではありません。
私自身、両親が日本にいましたから
戦後日本に戻りたかったのです。

しかし簡単には入国できませんでした。
軍事関係者でなければ日本へ
渡ることはできなかったのです。

私はタイム・マガジン社で日本関係
を担当しており、何か日本へ行ける
機会がないかと情報を探していたのです。

そうしたら、FEA(Far Eastern
Administration)が日本語のできる人を
求めていましたので、応募し、採用
されました。

ですからこのFEAが私を日本に
派遣してくれたのです。

 

西

アメリカをお発ちになったのは。

 

ゴードン

一九四五年一二月のことです。

飛行機でニューヨークからホノルルなど
を経由し、一二月中旬に日本へ着きました。

 

西

最初からGHQの民政局に配属されたのですか。

 

ゴードン

はい、そうです。

私の肩書きは、正規には調査専門官
(Research expert)ということでした。

ただパス・ポートには、国務省が
間違って占領専門官(Occupation expert)
と記載していました(笑)。

 

西

ああ、そうですか。
そしてアメリカへ
お帰りになったのは。

 

ゴードン

一九四七年五月です。

 

西

民政局では、特にどんなことを
担当なさったのですか。

 

ゴードン

政治問題を担当していました。

 

西

それでは,憲法問題に
質問を移らせていただきます。

GHQでは、日本の憲法制定に当たり
いくつかの指導理念――日本の民主化
とか――があったと思いますが、特に
どんなことを念頭においていらっしゃ
いましたか。

 

ゴードン

それらの指導理念は、SCAP(連合軍最高
司令官)の方から下りて来ており、それに
もとづいて私たちは作業をしたわけで
最初から私たちの頭の中で考えたわけ
ではありません。

 

西

その上から下りてきたというのは、ポツダム
宣言とかSWNCC―—二二八といったものですか。

 

ゴードン

そうです。

女性の権利についての発案

西

ゴードンさんは,日本語ができるきわめて
少数の人ということで、あちこち資料探し
に出かけられたということですが、その辺
の事情についてお話いただけないでしょうか。

 

ゴードン

ホイットニーさんから命令が出されたとき
民政局には弁護士など何人かの法律の
専門家がいましたが、やはり憲法を作る
のであれば、何か規範になるものがなけ
ればと思い、私自身の判断で、あちこち
公立の図書館や大学の図書館をまわり
資料を集めてきました。

そしてそれらを私の机の上において
おいたところ、みんな「わー、いいね」
といって利用しました。

しかしそれは大枠を利用したということで
細かい点は勿論,私たち自身で考えました。

 

西

今、あちこちとおっしゃいましたが、
具体的にどんな所へいらしたか
覚えていらっしゃいますか。

 

ゴードン

とにかく早く仕上げなければならない。
極秘に事を運ばなければならないという
制約がありましたから、ジープを使って
一日であちらこちらの図書館をまわりました。

一箇所で多くの資料を収集すると目立つと
思いましたから、分散してまわったのです。

具体的にどこの図書館だったかは記憶に
ありませんが、東京都内であったことは
間違いありません。

 

西

ゴードンさんご自身は、憲法のどの部分
に関し、アイデアを出されたのでしょうか。

 

ゴードン

主に女性の権利について私の案を述べました。
私は小さいときから日本にいて、日本の
女性のことをよく知っていましたので
他国の憲法を参照したり、また自分の
経験に照らしたりして、これだけは憲法
に入れなければならないという案を
もっていました。

 

西

そうすると、今の憲法第一四条(法の
下の平等)とか第二四条(婚姻の自由、
家族生活における男女平等)は、ゴード
ンさんの発案にかかるものですね。

 

ゴードン

私自身は頭の中で考えたことをいくつか
の項目に分け、見出しをつけて、かなり
細かく書いたように思いますが、それを
運営委員会のほうで一般化し、整理して
原案ができあがったわけです。

徹夜の作業、日本側の立場でお手伝い

西

運営委員会とは、何度かディス
カッションをなさったのですか。

 

ゴードン

私が記憶している限り、一回だけです。

その際、私たちは、それぞれの担当者
がこれだけは絶対に重要だから、憲法
条項に入れなければならないという
ものをもっていれば、その理由を説明
しました。

たとえばワイルズさんは学問の自由の
重要性を力説し、私は女性の権利に
ついて説明しました。

私の意見は、すんなり受けいれられました。

 

西

運営委員会とのディスカッションに
ついてですが、運営委員会は何か
独特の案を持って、各委員会と
接していたのでしょうか。

 

ゴードン

いいえ、運営委員会はそのような案を
もっておらず、私たちが上げた案に
ついて,イエスかノー、あるいは何か
ほかにいい案がないか考えるという
方法をとっていました。

 

西

ゴードンさんは,たしか三月四日
から五日にかけての日米間の徹夜の
作業に参加していらっしゃいますね。

そのときの模様をお聞かせ願えない
でしょうか。

 

ゴードン

私がケーディスさんから呼ばれてその席
に加わったのは、実は通訳としてなのです。

私がそのミーティングに参加したときは
松本国務大臣はおりませんでした。

通訳として、アメリカ側からは、いま
の私の主人ともう一人おりました。

日本側からは二-三人出ておりましたが
かれらの通訳はそれほど早くありま
せんでした。

私の通訳は速かったので、私は日本側
に立って随分お手伝いしました。

朝の二時頃だったでしょうか。

私がかかわった女性の権利の
部分が出てきました。

日本側の反応はこの権利に対し
消極的でした。

私は、天皇の部分ではあんなに発言
していたのにと思って驚きました。

そのときケーディスさんが次のよう
に言ったのを覚えています。

『シロタ嬢は、女性の権利について
心をかためている。
もっと早くこれを通そうじゃないか』。

まあ、マ元帥の命令ですから、遅かれ
早かれ、憲法は制定されなければ
ならなかったわけですが、私がこのとき
貢献できたことといえば、通訳を通じて
ほんの少し時間を早めたということで
しょうか。

日本の民主化のために頑張る

西

日米の徹夜の折衝で、特に意見の対立
のあった箇所はどこだったでしょうか。

 

ゴードン

私は天皇の部分だったと思います。

それから私が関係した女性の権利に
ついて日本側の態度は硬かったですね。

そして戦争放棄については、このよう
な表現は日本語では難しいというよう
なことをいっていました。

ただし、戦争放棄は、言葉だけの問題
ではなく、その背後にある意味の問題
もあったと思います。

 

西

ちょっと、そのときの状況を
説明していただけませんか。

日本側からは佐藤達雄氏や白洲次郎氏
が、アメリカ側からはケーディス氏、
ハッシー氏、ラウエル氏などが参加
したわけですが,どんな具合に話し
合いがもたれたのですか。

 

ゴードン

机を真中にして向かい合っていました。

こちらには、今名前をあげられた人
たちのほかに、ルース・エラマンさん
が秘書としていました。

白洲さんは、あっちへ行ったり
こっちへ来たりしていました。

 

西

そうすると、アメリカ側からは
運営委委員会の人たちだけだった
わけですか。

 

ゴードン

はい。

オリジナル・ドラフトを書いた人
は参加していませんでした。

 

西

最後に全体の印象として、何か
ご記憶に残っている点があったら
お聞かせいただけないでしょうか。

 

ゴードン

私はこれだけは言っておきたいと思います。

民政局の人たちは、それは本当に
真剣にこの問題と取り組みました。

みんな自分のためではなく、日本国の
民主化のためを考えて作業をしていました。

 

 

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