「夫との絆強めるために」2002年1月30日(水)毎日新聞

私・主義 「自己責任」時代の暮らしかた 番外編

昨年夏、60歳の女性が国内最高齢で男児を生んだ。
愛する男性の子どもを欲しいと望み、
自分の責任で超高齢出産を選んだ。

「私・主義」の番外編として、生殖医療の進化、
女性の生き方をめぐる議論のきっかけに
なった女性に話を聞いた。(戸嶋誠司)

卵子提供を受け60歳で初産

出産したのは都内の公務員、影山百合子さん(60)=仮名。
在米日本人女性(28)の卵子と夫の制止を体外受精させ妊娠。
昨年7月、帝王切開で2558グラムの元気な男の子を産んだ。
黒髪のおかっぱ、意思の強そうな目が印象的な女性だ。

24歳年下と再婚
53歳の時に24歳年下の米国人男性と再婚した。
「年齢差を埋め、2人の絆を強めるために
子どもを産むことにこだわりました。
でないと相手が離れていくと思ったから。
男と女がうまくいくには努力が必要でしょ?
私にとってそれが子どもでした」
3歳で両親を亡くした。
価値観の違う前夫との生活は冷え切っていた。
子どもはおらず、痴呆の祖母の介護、脳卒中で
倒れた夫の世話が加わり「このまま老いるのか」
の味気ない生活だった。

今の夫と出会い、状況は一変する。
「この人の子どもがほしい」との思いに押されて、
夫に離婚を切り出した。

再婚後の98年秋、不妊治療をコーディネートする
卵子提供・代理母出産情報センター(東京)を訪れた。
閉経間近だったので、日本では認められていない
卵子提供を米国で受けることを決めた。

60歳出産への世間の偏見は怖くなかったのか。
影山さんは「他人に迷惑をかけないで自分の
責任で引き受けた。
人間として恥ずかしくない生き方をしてきたので
不安はありませんでした」と、明るく振り返る。

検査で骨密度が20代並みとわかった。
歯はすべて自前。
医者が驚くほどの健康体。
薄くなっていた子宮内膜は、ホルモン投与で
着床可能な厚さになった。
子宮筋腫を切除したあと、2回に分けて
受精卵8個を子宮に戻し、妊娠した。
つわりはほとんどなく、妊娠中毒症も軽かった。
出産日は夫の誕生日に合わせた。

「医者が取り上げた子どものほっぺを
私のほっぺにくっつけてくれた。
温かい肌、ぬるっとした感触で、
『子どもを産んだんだ』と実感しました」

出産が大きく報道されると、「将来子どもの養育
ができるのか」「無責任だ」と批判が噴出した。
だが、影山さんは不思議に思ったという。
「子どもは母親だけで育てるわけではないのに。
私に何かあっても、夫が子どもをみてくれる
見通しがあった。
夫が同じ世代か上だったら、こんな選択は
しなかったでしょう」

自分の選択をまったく後悔していない。
「60歳は単なる老人ではない。
妊娠にだって挑戦できるし、何かを成す
可能性が残っていることを示せた。
まだまだ捨てたもんじゃないですよ」

「女の子がほしい
昨年11月に、仕事に復帰した。
生後6ヶ月の長男は今、体重7キロ。
テレビが大好きで、最近離乳食を食べ始めたという。
「2人目?
まだ1、2年のうちなら可能でしょう。
できれば女の子がほしいですね。
半分冗談で、半分本気です」

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ファイル
卵子提供・代理母出産情報センター
同センターの紹介で米国で卵子提供を受け、
出産した人は128人。
うち50歳以上は17人、閉経後の人も40人。
卵子提供者への謝礼や体外受精費用など
総額400万〜500万円がかかる。
鷲見侑紀(すみ・ゆき)代表は「影山さんは特別
な例だが、条件さえクリアすれば50代出産は可能。
産む産まないは女性が決めるべきだ」という。

「ありがとう、赤ちゃんー60再発出産の物語ー」
光文社 影山さんが自分の生い立ちや出産までの
経緯を綴った手記。

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社会は議論不足

柘植あづみ明治学院大学助教授(医療人類学専攻)の話

子どもを産んだ気持ちは理解できるが、卵子提供
という先端技術を利用していいかは、別の問題だ。
今の社会で、将来、子どもが何を思うかなどの
議論が足りない。
不妊治療を続けても子どもをもてない人もいるし、
高齢出産は自分の命にもリスクがある。
出産をあきらめることによって、
次の人生が開くこともある。
あきらめられない気持ちの背景を、
社会はもっと考えるべきだ。

 

 

 

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