名前や言葉、続柄が意味するものは何か?」 『Voice』から 戸籍12

バーバラ・サマーホーク

 

私が初めて日本に来て日本語を勉強して
いたとき、ある女性が私に「長女」か
どうかを尋ねたことがあった。

彼女がその言葉について説明した後、
私は自分が双子のうちの一方だと答えた。

「でも、どちらがお姉さんなの?」
彼女はしつこく言った。

「私が先に生まれたけれど、
たった46分の違いだけ」

自分が「長女」だからといって
別にどうというわけでもない。

私の子どもについてはどうなのだろう。
私の子どもも双子だ。

帝王切開で生まれ、二人とも
同時に胎内から取り出された。

「最初に取り出された方が長男よ」
彼女は即座に言った。

どちらが先に生まれたのかにこんなに
こだわるなんて、私には奇妙だった。

あなたもご存知のように、西洋文化
は日本と同様、長い封建時代を経験
し長子の概念が発達した。

この概念が法となり,長男が家族の運、
場合によっては不運を相続することと
なった。

女性(と二男以下)を相続から除外し
低い価値に追いやったこの家父長的
野蛮さの残滓が、ある国々では二十
世紀以降も続いた。

全権をもつ長男の立場はついに色褪せた
が、今もなお、いくらかのアメリカの
サブカルチャーにその影を落としている。

しかし、この歴史的時期に、日本語の
ように家族の中で出生の順序を意味する
特別な言葉は生まれなかった。

英語には長女や長男、兄や妹といった
特別な言葉はない。

友達に紹介するときは、たいてい、
「私の兄弟(brother)です」とか
「私の娘です」といった言い方をし、
一番上の娘か二番目の娘かということは
想像にまかせるか、質問を持って答える。

日本でもそうすることはできる。
自分の子どもをあなたは娘や息子
といって紹介するかも知れない。

私の東京での経験では、多くの人がそう
やって紹介するが、地方、例えば私が
住んでいた和歌山県ではほとんどすべて
の人が、子どもを長女や長男、次男など
と紹介する。
家族の中の位置を明らかに意識している。

だから、結婚した日本の人たちが戸籍
や住民登録の法の下で、自分の子ども
を長女や長男などとして登録しなければ
ならず、その一方で結婚していないカッ
プルが自分の子どもをただ単に子つまり
「子ども」として登録することを強いら
れるということを知っても、私には驚き
ではなかった。

家父長的特権や序列的な社会分割を守る
ことに興味がある社会では、こうした
登録制度は理に適うものであり、合理的
基盤をもつものだ。

しかし、もし日本が平等を押し進める
民主的社会をめざすというのなら、
こうした登録制度は歴史のゴミの山に
葬り去らなければならない。

アメリカでは登録は個人単位であり、
家族単位ではない。

ここに私の出生証明書のコピーがある。
この出生証明書の簡潔さは、プライバ
シーや個人に対するアメリカの関心の
強 さを表している。

私がパスポ―トや運転免許証を
とる時にはこの文書を使用する。

後者はアメリカでの主な身分証明書だ。
注目してほしいのは1946年当時でさえ、
用紙に「母の名前」や「父の名前」の
記入は要求されなかったということだ。

両親が結婚していたことは明らかだった
が、結婚しているかどうかをチェック
する欄はなかった。

ちなみに両親は自分たちの名前を記入
することを選んだ。

私とは双子の兄弟(brother)や家族の他
の構成員については何も書かれていない。
私はこの方法が好きだけど、あなたは?

戸籍や住民登録、相続に関する法律が
変わるときにも、依然として長男などを
使い続ける人たちがいるかも知れない。

でも、もっと民主的な時代になり、それら
の法的社会的重要さが薄れてくれば、その様
な言葉を使うことも少なくなるかもしれない。

 

 

「アメリカの出生証明書」

出生証明書
 聖バーナーディン病院
 サンバーナーディーノ、カリフォルニア(市、州)

バーバラ・◯◯・◯◯は、1946年8月19日月曜日、
午後9時45分、◯◯・◯◯・◯◯夫婦の子
として、当病院で生まれたことを証明する。

その証明として担当した医師はこの文書
に署名をし、当病院はこの証明書に、
正式に認められた役員の署名をし
正式印を押すものとする。
(私立病院協会印)
ジョン・A・パリーソン・M・B
シスター・M・アルバート

 

 

 

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