「国際結婚から見る戸籍制度」Who needs that? 戸籍14

「生まれた子どもに、父親の姓をつけることができない」
という友人の手紙が届いたのは2ヶ月前のことだった。

オーストラリア人の夫のもち、ドイツに住む
日本人の彼女は、数年前に婚姻届を出し、
昨年末に出産をした。

夫の姓は「ウイルキー」、彼女は「林」で、
生まれた子の名前を「ウイルキー健司」と
届けだ。

しかし、受理されなかった。
お役所は「林健司」でなければ
日本国籍は取得できないという。

国際結婚をした日本女性の立場の変遷は、
何かと見えにくい国内での結婚改姓問題を、
より鮮明に浮き彫りにしてくれる。

1873年
外国人と結婚した女性は
日本国籍を失った。

結婚とは夫の「家」の人間になることだった
ので、自然に相手の「家」の人間になる。

1950年、外国人と結婚した日本女性は
日本国籍を失うことはなくなったものの、
子どもには日本国籍は与えられなかった。

戦後建前の上で、「イエ制度」は廃止された
というが、依然、結婚とは原則として女性が
男性の「家=籍=氏」に入ることは変わらず、
その主は男性。

日本人同士の結婚で子どもに国籍が与えら
れるのも、父系(父親が日本人であるので
子どもに日本国籍が与えられている)で
あることがわかり、憲法24条の「両性の
平等の下の結婚」は、まだ実現されていない。

1985年
外国人と結婚した日本女性の
子どもにも、やっと日本国籍が与えら
れるようになった。

ただし、氏に関しては 前記のように
問題があるが……。

今回の民法改姓でも夫婦別姓が注目されて
いるが、「結婚しても今までの名前でいたい」
あるいは「結婚改姓は仕事上不利益を被る」
など、表面上の問題とその対処というレベル
の論議で終わろうとしている。

しかし本来は
「結婚が未だに〈イエ〉という戸籍に入り、
その〈イエ〉の氏を名のるシステムである」
ことに対する疑問でなければならないのでは
ないか。

これは単に女性差別の問題にとどまらない。
人間を「個」ではなく、あえて「イエ」で
とらえようとする、私たちの国の「現在」
の問題なのである。

そもそもなぜ、結婚や養子縁組の際に
氏を変更しなければならないのか。
氏名権は最高裁も認めた人格権の一種である。

いまの日本では結婚、養子縁組時に氏を
変更する「義務」だけを追わされていて、
変更しない自由、あるいはそれ以外の時
に変更する「権利」は与えられていない。

冒頭の友人の子どもの場合は、父方の
オーストラリア国籍は、父母どちらの姓
でもまったく問題なくとれる。

父の姓では国籍を与えないという筋の
通らない話に 、「それならば日本国籍
はいらない」
と、いつも穏やかな友人の夫は怒った
という。

オーストラリアでは2、3千円の手数料
で、自分の姓を好きな時に変えられる。
自分の人生は……、
自分の名前は……、
自分のものではないのだろうか。

友人の手紙は、次のように終わっていた。

「このような遅れた法律をもつ国に対して、
当事者の私たちはどこへ訴えたらよいので
しょうか。
しかし、ドイツに住んでいて日本人以外の
夫をもつ日本女性で、この問題にさして
矛盾を感じない人の多いことにびっくり
します」と。

国際化の時代、自ら国際結婚をして外国
に住みながら、矛盾する感じない日本人。

「氏は日本人固有のもので、氏のない人間
に日本国籍は与えられない
(氏は天皇の与えたものであり、
与える立場の天皇および皇族に氏はない)」

「夫の姓を名のり、戸籍上は『ウイルキー
晶子』になったとしても、それは
『呼称上の氏』に過ぎず、『民法上の氏』
は『林』と解する」
などというわけのわからない説明に
納得しているのだろうか。

大逆事件の起きた冬の時代に、
森鴎外は「最後の一句」を書いた。
ヒロインはこんな言葉を吐く。

「お上のすることに間違いはあります
まいから」と。

私には、この一句が21世紀に入ったいま
現在、すでに国境を越えて生きている
彼女たちの姿にオーバーラップして
しかたがない。

 

1870年、明治政府は平民に氏を許可
(5年後には強制)し、
「氏を通じて国民を天皇制の下に組織
する公民簿」(佐藤文明)としての
戸籍制度を築き始めた。

そして、イエ制度が確立した1898年、
明治民法の施行とともに夫婦同姓が
はじまった。

いまから114年前のことである。

 

 

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